こちらに移植→明軍の参戦 - “真相” 文禄・慶長の役←最新版はこちら
明軍は1月7日から小西行長の守る平壌城を攻撃し、8日には各城門を突破した。日本軍は北辺の万寿台、乙密台に退却して防戦した。明軍は万寿台、乙密台を攻撃するが多くの犠牲を出して撃退された。ここで李如松は「退路を与えるから、城を明け渡せ」と通知する。夜、日本軍は一斉に退却を開始した。明軍は追撃隊を差し向けたが小西等は漢城まで退却することに成功した。明軍はさらに漢城目指して進撃する。これに対し日本軍は兵力を集結し漢城に迫った明軍を碧蹄館の戦いで破る。
明軍進路 |
明軍編成
- 兵部侍郎 宋応昌 爲経略軍門
- 都督同知 李如松 爲提督軍務
- 副総兵 楊元 爲左協大将, 副総兵 王有翼 、副総兵 王維禎 、参将 李如梅 、参将 李如梧 、参将 楊紹先 、先鋒副総兵 査大受 、副総兵 孫守廉 、参将 李寧 、遊撃 葛逢夏 等, 咸統于 元
- 総兵 李如柏 爲中協大将, 副総兵 任自强 、参将 李芳春 、遊撃 高策 、遊撃 錢世禎 、遊撃 戚金 、遊撃 周弘謨 、遊撃 方時輝 、遊撃 高昇 、遊撃 王洞 等, 咸統于 如栢
- 副総兵 張世爵 爲右協大将, 副総兵 祖承訓 、副総兵 呉惟忠 、副総兵 王必迪 、参将 趙之牧 、参将 張應忠 、参将 駱尙志 、参将 陳邦哲 、遊撃 谷燧 、遊撃 梁心 等, 咸統于 世爵
- 参将 方時春 爲中軍, 備禦 韓宗功 爲旗皷官, 兵部員外郞 劉黃裳 、兵部主事 袁黃 爲贊畫, 戶部主事 艾維新 督餉
是時 平壤 屯賊, 可萬數千, 竝我民爲兵, 以張軍勢。 経略計以三倍衆擊之