しかし、こうした秀吉の意図は堅物の朝鮮使には理解できなかった。朝鮮使、すなわち朝鮮官僚にとっては儒教的形式主義に沿った行動こそが唯一絶対の人間が取るべき行動であり、秀吉の我が子を愛おしむ姿での応対は、儒教的形式主義から逸脱するものであり、非礼なものと映った。
ここに、東方礼儀の国を自称する儒教(特に朱子学)原理主義の朝鮮と、儒教的影響を表層的にしか受け入れなかった日本との文明感の違いがよく表れている。
そもそも、単に接見の形式だけの話ではなく、儒教的価値観を国家の基本理念とする李氏朝鮮からすると、中華王朝へ政治的にも文化的にの服従することこそが、礼節に即した正しい行為であり、中華王朝へ攻め入るなどは、非礼であり邪道でしかないともいえる。