楊元 - Wikipediaを新規作成。
楊元は明軍の武将の中で比較的健闘したほうだと思う。
守将として戦った南原城の戦いでは、籠城の末落城したといっても兵力差を考えると落城はやむを得ないことだし、逃走したことも落城寸前まで戦った末のこと。それらを考え合わせると処刑は酷ではなかろうか。
南原城の戦いが始まる前、朝鮮の諸将は至近の朝鮮式山城の蛟龍山城に籠城することを主張したが、楊元はこれを却下して平地の中国式平城の南原城で籠城し、最後は落城した。朝鮮の高官である柳成龍は『懲毖録』の中で平地の南原城に籠城したことに批判的で、「平城はダメで山城ならよかったという」趣旨の主張をしている。しかし、同時期に朝鮮式山城である黄石山城が日本の右軍の攻撃で二三日で陥落している。これに対し、南原城は数日間持ちこたえていることを考えれば、この主張は説得力に欠ける。