2011年7月24日日曜日

文禄・慶長の役の名称を「壬辰倭乱」「壬辰戦争」と呼ぶことの不適切さ

「文禄・慶長の役」の呼称について、韓国では「壬辰倭乱」と呼ばれている。また最近では「倭乱」部分を「戦争」に変えて「壬辰戦争」という呼称が鄭杜煕らによって提唱されている。しかし、これら「壬辰」を冠した呼称は不適切なものである。

先ず1点目の理由を述べる。日本の文禄元年(西暦1592年)が干支の壬辰年に当たるため、「壬辰倭乱」や「壬辰戦争」という戦争名にしようというものであるが、しかし実際のところ文禄・慶長の役は停戦期間を挿みながら慶長3年(西暦1598年)まで7年間にわたって戦われた戦争である。ところが「壬辰」とは、文禄元年(西暦1592年)の一年間しか表さない。このことを考えると「壬辰」を7年にわたる戦争の呼称として用いることは、全く不適切なものといえる。

次に2点目の理由を述べる。干支とは元々年代の記述法として合理的なものではなく、これを歴史年代に用いることは混乱を招くものであること。干支とは60年周期で一巡するもので、同じ干支年は歴史上無数に存在している。「壬辰」年だけを例にとっても、紀元後だけで、32年・92年・152年・212年・272年・332年・392年・452年・512年・572年・632年・692年・752年・812年・872年・932年・992年・1052年・1112年・1172年・1232年・1292年・1352年・1412年・1472年・1532年・1592年・1652年・1712年・1772年・1832年・1892年・1952年と、これら全てが「壬辰」年で、さらに今後も、2012年・2072年・2132年・2192年・2252年・2312年・2372年・2432年・2492年・2552年・2612年・2672年・2732年・2792年・2852年・2912年・2972年、と永久に続いてゆく。このような干支記年を態々現代に歴史的出来事の呼称として用いるべきであろうか?

歴史的な遺物に干支が記年されている場合が多々あるが、干支年は無数存在するため、これら遺物の実年代が何時のものなのか明確でなく混乱を招いているケースが少なくない。例えば、隅田八幡神社人物画像鏡銘文に記された「癸未年」がいつに当たるか、西暦443年や、503年などが唱えられているがはっきりしない。当時は他に適切な年代記述法方法が無かったため止むを得ないし、何も記されていないよりは余程良いことだが、やはり歴史的事実を究明する障害となっており、残念なことだといわざるを得ない。

戦争に関しても、これまで他に「壬辰」年に戦争が起きていないのだろうか?今後「壬辰」年に戦争が起こらないといえるのだろうか?
古くから既に定着している干支年を用いた歴史的出来事については、そのままにしておいてもよいかもしれないが、今現在に、こうした混乱を招く年代記述方理由法を態々新たに用いるのは、不合理なものといえる。

最後に3点目を述べる。「壬辰」は「壬申」と同様に「じんしん」と読み、紛らわしくなること。実際に「壬申倭乱」という誤った表記でWEB上を検索すると大量にヒットするのがその証となる。すでに歴史上重要な出来事として「壬申の乱」が存在することもあり、混乱を生じかねない。

以上、3点の理由から「文禄・慶長の役」の名称に「壬辰」を付けることに反対する。

(追記)「壬辰戦争」という呼称を用いるべきという主張には、国際的に同一の呼称で統一するという目的があるようだが、漢字表記が同じになったところで、各国の呼び方ほ異なっている。日本で「壬辰」は「ジンシン」で、韓国では「イムジン」となるので結局のところ呼称の統一にはならない。漢字表記だけでも統一することに意味があるという意見もあるかもしれない。しかし、韓国では一般に漢字では表記されず、ハングル文字で「임진」と表記されるので、殆ど無意味なものとなる。英語などでアルファベットを使用して表記する場合も、日本語の「jinshin」とすべきか、韓国語の「imjin」とすべきか、或いは北京語の「rénchén」にすべきかといったことになり、呼称統一という目的を達するこはできない。無理に呼称統一を図ろうとしても、デメリットばかりが多くメリットは少ない。